理事会から

2021/06/10

「人生100年時代」に向けた眼科・視覚研究について

 この「理事会から」を執筆している2021年5月、新型コロナウイルスの第4波により、東京や大阪などでは緊急事態宣言中にあります。医療の逼迫状況は深刻であり、私が所属しています大阪大学医学部附属病院でもICUをすべてコロナ病床としたため、重篤な心臓病や癌の外科的手術を実施することができない状況となっています。日常生活がいつ取り戻せるのか、先行きが見えない状況となっていますが、一方、国内外の最近の状況を比較してみると、ワクチン接種がやはりゲームチェンジャーになっているように思います。すなわち、イスラエル(1回目接種率62。5%、2回完了率58.9%)やイギリス(1回目接種率50.6%、2回完了率22.0%)、アメリカ(1回目接種率43.7%、2回目完了率30.9%)などの国ではワクチン接種により、次第に日常生活が取り戻されつつあるようです。一方、日本の1回目の接種率は2.6%、2回目までの完了率は0.9%と、いまだきわめて低い水準にとどまっています。なぜこのような大きな差が生じたのかの原因は政策的要因、外交的要因、科学的要因など、一元的ではありませんが、やはり、国難に遭遇した折、国の科学力が問われることは必至であることを痛感します。
 さて、前置きが長くなってしまいましたが、私は日本眼科学会戦略企画会議第四委員会(政策提言活動と啓発活動)の活動において、行政や他分野の医師・研究者と議論する機会を設けてきました。そこで、眼科コミュニティの外部からの見解を念頭に、ここでは、眼科学・視覚科学分野の研究において、今後、何が求められているのかについて記載したいと思います。ただし、私見であることをお許しください。
 このテーマを考えるうえで重要なことは社会の変化です。ご存知のように、近年「人生100年時代」という言葉をよく耳にするようになりました。「人生100年時代」とは、リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの著書である『LIFE SHIFT―100年時代の人生戦略』で提唱された言葉です。世界で長寿化が急激に進み、先進国では2007年生まれの2人に1人が100歳を超えて生きる「人生100年時代」が到来すると予測されています。本著書では、この「人生100年時代」には、これまでの「20年学び、40年働き、20年休む」という人生設計の見直しを行うことが必要であると提言されています。
 「人生100年時代」になれば、視覚の機能維持はQOLにとって今にもまして最も重要な要素の一つとなります。一方、目など感覚器や脳における加齢性変化は健康な間にも細胞レベルで徐々に進行しており、人生100歳までを想定すると、ほとんどすべての人に機能低下が顕在化する可能性が大きいと思われます。したがって、失明原因の上位を占める緑内障や加齢黄斑変性などは、認知症と同様に、さらに増加の一途をたどることが予測されます。「人生100年時代」における健康不安のない社会を目標とするならば、機能低下が顕在化する前のできるだけ早い時期に科学的エビデンスに基づいたリスク評価と診断、介入を行うのが理想です。このような視点から、人工知能、ビッグデータ解析、ゲノム解析、さらに、認知行動科学、老化研究などを統合させる研究が重要であるように思います。
 他方注目すべきは、視覚障害や聴覚障害は障害調整生存年(DALYs)の上位にある認知症、転倒や骨折、うつ、そして死亡のリスクも高めているという疫学的エビデンスや、最近では感覚器を通じた光や音の入力は単に視聴覚機能だけではなく、認知や全身の機能と深く連関していることを示す驚くべき研究成果(Iaccarino HF, et al:Nature, 2016;Martorell AJ, et al:Cell, 2019)が報告されていることです。これらは視覚機能の維持に向けた取り組みが認知症や全身疾患の克服に寄与する可能性を示しています。したがって、眼科学の研究分野の新しい方向性として、視覚と脳や全身機能との関係への探求が想定されます。
 以上、今後の眼科・視覚研究の方向性についての私見を述べさせていただきましたが、これらを担う人を育てることが最も大切な課題です。若手研究者の育成は日本眼科学会の戦略企画会議でも重要戦略として進められています。私が担当させていただきます来年の2022年第126回日本眼科学会総会においても、若手が自ら「研究が面白い」と感じてもらえるような企画を考えています。世界的に評価される研究者が眼科の各分野で育つのを願ってやみません。

公益財団法人 日本眼科学会
常務理事 西田 幸二