2022/09/09

日本眼科学会と眼科ニーズ

 2021年4月から日本眼科学会理事に就任させていただきました。以来何度か理事会に参加させていただきましたが、理事の先生方と事務局が一体となって、膨大な仕事をこなされている状況を目の当たりにいたしました。日本眼科学会は、国内外への情報発信、次世代育成、専門医制度への対応、学術レベル向上への施策、国民の目の健康への啓発活動・政策提言、保健行政への対応、日本眼科医会との協力事業など、様々な課題に的確に対応しています。大きな規模を誇る学会、そして国民の健康に対して責任のある学会だと改めて感じました。理事の責任は重大と思いますが、これからも頑張りたいと思います。
 日本眼科学会のWebサイトに大鹿哲郎理事長が書かれていますが、日本眼科学会総会は明治30年(1897年)に第1回が開催されています。125年の歴史があり、日本の医学系学会としては日本解剖学会に次いで2番目に古く、また臨床系としては最も長い歴史を持つそうです。これは、眼科学が医学の歴史のかなり早い時点から専門分野として認知されてきたこと、そして眼科の先達が高い専門意識を持っておられたことを示していると思います。日本眼科学会の創設については、日本眼科学会百周年記念誌編纂委員会編「日本眼科の歴史 明治篇」に詳細な記載がなされています。それを紐解きますと、河本重次郎、川上元治郎、大西克知といった偉大な先達のお名前があります。日本眼科学会は明治時代に一定の寄付金を集め、それを元に昭和3年(1928年)に「財団法人」として社会的責任を負う団体となりました。2008年に公益法人制度改革が行われ、暫定措置を経て、2013年に一般財団法人よりもさらに公益性が高い「公益財団法人」になりました。公益法人は積極的に不特定多数の者の利益の実現を目指すもので、資格を満たして公益法人になれたことで学会のプレゼンスが上がったと思います。私が日本眼科学会に入会したのは1991年で31年間は関わってきているのですが、日本眼科学会の組織率は高く、眼科医が自らを誇れる学会運営ができていると感じます。
 学会運営にはしなやかさが求められます。今まで上手くいっていることも、国内外の動き、パンデミック、働き方改革、眼科医気質の変化など、状況の変化に対して柔軟でなければなりません。これまで私が直接経験してきたことの一つに専門医試験問題作成・専門医制度運営があります。毎年新作問題を、多くの候補問題の中から委員が時間をかけて練り上げていく作業は大変なものです。こんなに苦労して作ったのだから、採択してほしいと思っても、最終段階でボツになることがよくあります。そんな良問題はもったいないので翌年に回してほしいと思っても、そんな妥協は一切なくまた新作問題が作られます。こうして作成された毎年の専門医試験問題は公開され、多くの眼科医の診療レベル向上・維持に役立っていると思います。専門医制度はご存じのとおりここ数年で大きく変化し、派生した都市部シーリング問題や新制度への移行問題で、専門医制度担当の坂本泰二前常務理事・近藤峰生現常務理事は大変な労力を注いでこられました。お二人をはじめとする関係の先生方は、目の前の変化に対応しながら、同時に10年先・20年先の姿を描いて行動されています。私は一連の過程をみながら、世の中の変化を的確に捉え、早めに自らをpositiveに変えていける日本眼科学会の力強さを感じました。
 人間は死ぬその瞬間まで見えていたい生き物だと思います。生涯の終焉を目が見えない状態と、家族の顔が見える状態で迎えるのでは大きな違いがあるでしょう。「見えること」は「生きること」の一つの証であり、健康寿命延伸が求められる時代に、私たち眼科医へのニーズが減少することはないでしょう。アイフレイルという言葉が世の中に浸透しつつあります。アイフレイルは「加齢に伴って眼が衰えてきたうえに、様々な外的ストレスが加わることによって目の機能が低下した状態、また、そのリスクが高い状態」です。加齢変化を避けることはできないのですが、まずはアイフレイルという状態を国民が認識し、予防を心がけることがすべての出発点であろうと思います。多くの皆様の視覚への関心が高まれば、あたらしい予防法や治療法などのイノベーションが起こる下地が整い、より良いロービジョンケアや社会体制の整備につながることになるでしょう。

公益財団法人 日本眼科学会
理事 園田 康平