理事会から

2024/02/09

「学会の国際化」について考える

 コロナ禍がほぼ終息した今、学会に活気が戻ってきました。そして、海外からの招待演者もオンサイトで来日するようになりました。海外演者に混じって日本人の演者も英語で発表する機会が増えてきました。学会の国際化です。スライドは日本語のみはダメで、英語も併記するか、英語のみでも可、のような縛りも出てきました。他分野の学会によっては、スライドも喋りも英語のみ、も珍しくなくなってきました。我々眼科の学会にもこの波が押し寄せてきても不思議ではありません。
 さて、この国際化、よく聞く言葉ではありますが何を意味しているのでしょう? 学会の場合、表向きは、「(海外の専門家と)英語で学問を語る」ということに見えます。ウィキペディアには、国際化とは、複数の国家が相互に結びつきを強め、相互に共同して行動したり、互いに経済的、文化的に影響を与え合う事象全般を指す、とあります。そうです、「経済的、文化的」を「学術的」と言い換えれば、学会の国際化とは…、となります。
 学術的に影響を与え合うには、複数の国家の専門家が意思疎通するため、世界共通言語である英語が不可欠となるわけです。よし、英語でスライド作成し、英語でしゃべろう、英語のセッションに参加しよう、海外学会で発表しよう、英語、英語、英語、これで国際化だ! 一見これでよいし、間違っているとも言えません。しかし、今のうちは、に過ぎない幻想かもしれません。
 英語のアドバンテージはいずれ消えると思います。英語が世界共通言語たる背景には、大英帝国の植民地支配の影響や、アメリカ合衆国の経済的・軍事的優位性、イギリスを中心として勃興した産業革命以降の近代史があげられます。しかし、ここでは世界の経済的・軍事的構図が変わると言っているわけではありません(もちろん変わるかもしれませんが)。まったく違う視点で、英語のアドバンテージは消えると思います。しかも、いずれ、ではなく、すぐ、です。すぐその時代が来ると思います。
 著者は青スライド(若い世代は見たこともないでしょう?)の時代に眼科医となりました。手書き原稿から、いつしかワープロが使えるようになっていました。そして、大きな転換期としては、パソコンが登場し、WordやPowerPointで自在に原稿やスライド作成ができるようになりました。インターネットも論文検索・入手の手間をほぼ皆無にしました(昔は図書館に通ったものです)。手書き論文作成はさぞかし骨折り仕事だったでしょうが、学会発表や論文作成のハードルがものすごく下がった大変革がいきなり訪れたのです。電子メール然り、スマートフォン然り、テクノロジーの進歩は生活や仕事の様式を激変させます。ChatGPTに代表される生成AIの浸透もいきなり感は超ド級でした。わずか1年前の話です。
 昨秋の日本臨床眼科学会で落合陽一先生の招待講演を視聴された会員の皆さまはお気付きでしょうが、同時翻訳ソフトも著しく進化しています。ポケトークのコマーシャルを見てのとおり、あのような機能がスマホに組み込まれ、あらゆる言語が双方向的に、画面では文字で、イヤホンでは音声に変換されたらどうでしょうか? 学会場には、韓国、台湾、イタリア、フランス、トルコから招かれた演者たちが、皆スマホを使って学術的な意見交換を活発に行い、その後の懇親会でもスマホを使って楽しく交流を深める様子が想像できます。そこには英語はなく、必要ともされませんでした。
 つまり、学会の国際化とは英語力の問題ではありません。思ったより遥かに早く言語の障壁はなくなるでしょうから。では、何が問題となるのでしょうか? 先ほど定義した「学会の国際化」とは、複数の国が互いに学術的に影響を与え合うことです。影響を与えるには何が必要か? 言うまでもなくサイエンスです。つまり、これからの国際化とは、自国の学術レベルを向上させることにほかなりません。同じ土俵で学問を語ることができなければ、相手にされないのです。話はシンプルになってきました。英語のハンデは過去のものとなるでしょう。今までどおり、日本語で着想し、日本語で考察していればいいのです。日本人の得意なアイデア勝負の時代が来るはずです。なので、逆説的ではありますが、もう少しの間だけ辛抱して(笑) 英語に親しんでおきましょう!
 最後にもう一度、学会の国際化とはオリジナリティで切磋琢磨することです。国際化を楽しみましょう!

公益財団法人 日本眼科学会
理事 石田  晋