理事会から

2024/09/10

専門医制度・医師の再配置と日眼

 日本眼科学会(日眼)専門医制度は、他の領域に先駆けて作られたものであり、日眼が誇るべき素晴らしい制度です。私が日眼専門医制度委員長を務めた際、他の領域の委員から、「日眼の専門医制度を参考にして各学会が専門医制度を作った」との声をいただきました。この専門医制度を築かれた日眼の方々の努力に深く敬意を表します。

 現在の日眼専門医制度は、日本専門医機構(機構)の指針に基づいて運営されています。運営主体は日眼ですが、機構の指針に従っています。機構の設立目的は、国民から信頼される専門的医療に熟達した医師を育成し、日本の医療の向上に貢献することです。2014年に法人化されました。当時、多くの学会が独自の専門医制度を運営しており、一般国民に分かりにくい状況でした。そのため、専門医制度を分かりやすくすることが目的と説明されました。確かに、患者側からすれば、どの専門医が自分の治療に役立つのか知りたいでしょう。

 ただし、各学会からは多くの懸念が出されました。特に強かったのは学問や医師の配置を国が管理することへの懸念でした。学問を国が管理することの危うさは広く知られています。日本は第二次大戦中に苦い経験をしました。例えば、原子爆弾という世界を変えた科学が発展した契機は、量子力学の理論的確立でした。しかし、理論物理学の議論がされていた当時、日本では変わり者がやる地味な学問として冷遇されていました。一方、欧米では、直ちに有益にみえない学問でも、それを育てる見識がありました。量子力学の理論の正しさが証明されてから、一気呵成に原子爆弾の製造へと進んだのはその見識の賜物です。原子爆弾の是非はここでは述べませんが、国が学問に介入することで、本来大きな可能性を持った学問の発展が妨げられた例としてしばしば語られることです。戦後、日本の科学政策ではその反省を踏まえ、学問内容への国の介入を強く自制してきました。近年、様々な分野で日本人科学者が活躍し、ノーベル賞受賞者が増えたことはその成果であり、当時の行政や学会の見識は評価されるべきでしょう。

 私が日眼専門医制度の委員長に就任した当時の機構理事長は、その見識をお持ちでした。専門医制度は、各領域の専門家のレベルを上げるために運用されるものであり、医師の再配置などの目的には用いない。なぜなら、医師の再配置は学問の自由や発展に大きく影響するからであると述べられ、私はその言葉に安堵しました。

 一方、当時は新臨床研修制度が始まり、医師が都会に集中するとともに、地方医療は崩壊しつつありました。行政側も何とか解決を模索しましたが、事態は悪化していきました。私は日眼評議員会で、「このような事態を学会が放置していれば、いずれ医師配置に行政が介入してくる危険性がある」と述べましたが、議論は深まりませんでした。そして、突然始まったのがシーリング制度です。ご存じのように、後期研修医の研修先として、都会の施設に定員枠を設けるというものです。本制度の決定直後に厚生労働省において厳しく指導された際、これは大変なことになると心配しましたが、その後の混乱や経緯はご存じのとおりです。

 特に私が危惧したのは、アカデミアへの負の影響です。科学研究というのは国力の源泉であり、日本のアカデミアがそれを支えてきました。歴史的に日本のアカデミア施設は都会にあることが多いので、シーリング制度はその施設への人材供給を枯渇させます。最近、日本からの論文が激減していますが、この制度が続けばさらに事態は悪化するでしょう。このことを国立大学病院長会議などで発言しましたが、危機意識を十分に共有できたとは思えません。本年6月に開催された厚生労働省医師臨床研修部会では、地方への医師派遣についてさらに踏み込んだ対策が議論されました。地方への医師派遣は確かに重要です。しかし、それが日本のアカデミアの体力を奪い、崩壊させるとすれば、日本にとって取り返しのつかないことになります。本来、医師の地方派遣とアカデミアへの人材供給は分けて考えなくてはいけない問題であるにもかかわらず、そのことが混同されている現状に私は大いなる危機感を覚えます。地方の医療崩壊が起こったのには多くの原因があり、行政だけの責任とは言えません。各学会が沈黙していたために現状を招いたことも否定できません。医師の再配置についてさらに踏み込んだ議論がなされている今、他学会とも協力して事態を改善する知恵を出すことは、日眼にとってきわめて重要な活動であると考えております。

公益財団法人日本眼科学会
理事 坂本 泰二