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眼科は他の科と比べて何かにつけても軽くみられがちです。昔は「とんぼ・蝶々が鳥ならば、目医者・歯医者も医者のうち」と揶揄されていた時代もあったと聞いています。今はまさかそこまでではありませんが、しかしこういう古い差別感覚というものは根強く残っているようです。これを直していくには非常に時間がかかると思われますが、現在、日本眼科学会では日本眼科医会と協力して「日本眼科啓発会議」を立ち上げて、眼科についての正しい認識を多くの人たちにアピールする活動を行っています。その一つが「眼科サマーキャンプ」です。新医師臨床研修制度の導入によって減少した眼科志望者を増やすべく、2012年に第1回が行われました。私はその立ち上げから関わらせていただき、第5回まで委員長を務めたのですが、学生や初期研修医の皆さんにマイナーと言われている眼科が如何に重要な科であるかを示すことが一つの柱であったように思います。コロナ禍もあり、今は「眼科オンラインセッション」として形式を変え開催しています。 そして、眼科の重要性を一般の人たちに啓発するために「日本眼科啓発会議」は現在「アイフレイル」という言葉を広めようと様々な活動をしています。この「理事会から」でもすでに辻川明孝常務理事が述べておられますが、啓発には繰返しが大事ですので、私見も含めて改めて取り上げさせていただきます。 こういう啓発のための言葉というのは非常に重要で、言葉が浸透することで人々の考え方に変化をもたらすことができます。医療の世界では「メタボ」が良い例で、この言葉のおかげで、生活習慣病に対する国民の関心の目盛りが何段階も上がったのは間違いありません。「メタボ」は「metabolic(代謝の)」を由来とした言葉であるにもかかわらず、今では食べすぎ、太り過ぎの代名詞のような感じで使用されていて、もともと想定されたものからは少し変質しているように思われますし、明らかな誤用も多いように思います。ただ、だからこそ広く浸透したということは言えるのかもしれません。子ども同士で、太っている子に向って「やあ~、メタボやメタボや~!」と言ってからかうというような差別的な使い方もされることが、その言葉の浸透性を高めた一因となっているのは皮肉なことです。ところが、少しユーモラスな感じもすることでNGにならずに済んでいるという誠に便利な言葉です。この辺が病名や学術用語とは違う点ですね。言葉の感じや響きも重要で、これが「メタホ」ではだめで、この「ボ」が、太っているイメージを想起しやすいようにうまく機能しているのではないかと思います。翻って眼科で考えてみると、実は学術用語ではありますが、眼科は「ドライアイ」という言葉を広めることで、多くの人たちに涙の重要性を知ってもらうことができたのではないかと思います。ですから、「ドライアイ」は啓発という意味でも優れた言葉だったと思います。これが「乾性角結膜炎」とか「涙液減少症」のような厳めしい名前では決して広く人口に膾炙することはなかったでしょう。この何となく都会っぽい響きがよいようで、「私って、ちょっとドライアイなの」っていうと、困った状態だが、重症感はそうはなくて、少しおしゃれな感じさえ漂わせてしまうところが良いのではないかと感じています。かたや口が渇く「ドライマウス」の方はまったく広まっていません。この「干乾びたネズミ」を想起させるような言葉ではやはり無理があります。 日本眼科啓発会議ではこのような啓発の用語をつくろうと実はかなり前から取り組んでいたのですが、なかなか良い言葉が見つからず、いったん暗礁に乗り上げていた時期もありました。「メタボ」について述べたように、こういった言葉は一人歩きする危険があり、ただ逆に、だからこそ広まるという特性もあるので、難しいわけです。特に眼科の場合、視覚障害者に対して差別的に用いられるようなことがあっては、元も子もありません。というか、逆に眼科のイメージを著しく悪くする可能性さえあります。かといって、インパクトのない言葉や狭い領域の言葉では広まりません。その点つくづく「メタボ」は偉大な言葉だと思います。 今回紆余曲折を経てようやく使用することが決まったのが「アイフレイル」です。これは日本老年医学会で使われるようになった「フレイル」という言葉と良く言えば協力をする、悪く言うと便乗するような形で広めようということで、すでに歯科でも「オーラルフレイル」という言葉で啓発を始めています。「フレイル」は年齢を重ねて心身が弱る状態で、健康な状態と要介護状態との中間を指し、適切な介入を行うことにより、機能回復が期待できる状態とされています。英語の「frailty」から来ているのですが、「メタボ」同様、途中で言葉を切ってしまっており、英語の「frail」は形容詞なので、厳密にいうとおかしいのですが、それを名詞的に使用するようにした段階で日本語になったと考えるとよいのかもしれません。もとになった「frailty」という言葉は結構多義的な言葉で、辞書を引くと、「脆い」「薄弱な」「はかない」「体が弱い」「か弱い」「悪の誘惑に陥りやすい」などが載っています。ちなみに「frailty」という言葉で私が思い出すのは、あるいは一番有名といってよい名言がシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に出てくる「Frailty. thy name is woman」という台詞です。日本語では「弱き者よ、汝の名は女なり」という風に坪内逍遥が訳して、これが単独で広まって使用されるようになり、「女性はか弱い」という意味に誤用されたりしています。ハムレットはこの台詞を、自分の父を殺して王になった叔父クローディアスとすぐに結婚してしまった母親ガートルードに向かって言っているので、正しくは「悪の誘惑に陥りやすい」ことを意味しているのですが、こういう誤用が起こるのは、この言葉が多義的であるからだと思います。驚いたことにfrailtyという言葉が女性の蔑称として使用されていた時代もあるそうですが、これが「ハムレット」から来ているなら、結構高級な(?)誤用といえます。「フレイル」には、もとになった言葉の多義性ゆえに、ある種の曖昧性があって、病名や学術用語としては良くないのかもしれませんが、啓発用語としては結構合っているのかもしれません。 今回「アイフレイル」を広めるにあたって、その定義というのがしっかりなされました。「加齢に伴って眼の脆弱性が増加することに、様々な外的ストレスが加わることによって視機能が低下した状態、また、そのリスクが高い状態」となっています。「フレイル」が「適切な介入を行うことにより、機能回復が期待できる状態」となっていることから、「アイフレイル」もそうでないと整合性が取れないのではないかと思われるかもしれませんが、残念ながら眼は可逆性がない部分が多く、訓練するのも難しいこともあって、その辺は「フレイル」とは少しずれがあります。しかし、ここからは私見ですが、啓発用語ではそこまでの厳密性は求められていないと思います。それより拡散性の方が大事だと考えていますし、「回復」ができなくても「維持」できるだけで十分意味があります(緑内障の進行予防が良い例です)。以前から健康寿命の延伸には眼の健康が重要であることをアピールしてきましたが、今後はさらに踏み込んで、視機能の衰えである「アイフレイル」を改善することが「フレイル」の改善につながること、時に感じる見にくさや不快感を単に「歳のせい」にせず、自身の視機能における問題点の早期発見を促すこと、そしてそれゆえ眼の健診が非常に重要であること、これらを継続的に国民や社会全体にアピールしていく必要があると思われます。また、「アイフレイル」の目標として、「読書・運転・スポーツ・趣味など人生の楽しみや、快適な日常生活が制限される人を減らすこと」が掲げられており、これは「フレイル」の目標よりもさらに高いところを目指しているとも言えます。「アイフレイル」という言葉を広めていくことは、高齢化が進んでいく日本の社会生活の中で、如何に眼が重要であるかということを多くの人に知っていただくことにつながり、それがひいては、眼科に対する社会全体の認識を高めていくことにつながります。その第一歩として、我々眼科医全員が「アイフレイル」を意識しながら、今後の眼科医療に携わっていくことが大事でしょう。
公益財団法人 日本眼科学会 理事 井上 幸次
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