2022/10/07

総合知とリカレント教育

 まるで天窓、青空色の照明 自然で快適、プロの常識覆す『総合知』で開発―という記事に目が止まりました。照らされた物体がきれいに見えることが照明には不可欠という常識に縛られて、照明作りのプロも自然の青い空のような照明(青空照明)を作るという発想には至らなかったとのこと。天井の青空を見てリラックスしたい。 この素朴な発想の下に『知』が集い、その後、まったく新しい発想の照明が完成しました。この例は、自然科学を視点とする空間の照度を上げる「価値」に、人文科学の視点に基づく心に癒やしや安らぎを与える「価値」を加えた『総合知』の活用の一例として紹介されています。
 『総合知』という言葉は、令和2年に「科学技術基本法」が「科学技術・イノベーション基本法」に改正され、令和3年4月から施行されるに至って生まれました。現在、人間や社会のあり方がますます複雑化し、多くの解決すべき課題に私たちは直面しています。そのような中で、改良ではない新しい価値を創造したり、不可能を可能にするイノベーションこそが、日本経済復興の鍵とされています。そして、その実現のためには、人文・社会科学の分野の『知』を自然科学に取り入れ、『知』の学際的な融合を図る『総合知』こそ、新しい価値を創造してイノベーションをもたらし、社会の課題に向き合える方法と考えられています。現在、『総合知』の定義は、専門領域の枠にとらわれず、属する組織の「矩(のり)」を超えて、多様な「知」が集い、安全・安心の確保とwell-being(多様性のある一人一人が、幸福で肉体的、精神的、社会的に満たされた状態)の最大化に向けた未来像を描きながら、科学技術・イノベーションの成果を社会実装させる「知の活力」を生むこととされ、『総合知』の創出と活用が、科学技術・イノベーションの力を高めるうえで非常に重要と考えられています。つまり、複雑な課題の解決には、さまざまな『知』を統合して、それらの『知』を俯瞰的に見渡しつつ解決の筋道を見つける『総合知』の視点が必須といえます。
 今、世界には、一つの『知』では、まったく解決できない複雑化した課題がたくさんあります。例えば、COVID-19、異常気象、地球温暖化と脱炭素、デジタルトランスフォーメーション(DX)、超高齢社会と人口減少、介護や福祉の問題、格差社会と貧困、人工知能(AI)と自動運転、遺伝子診断、再生医療、ゲノム編集など。これらの課題に対して、安全・安心を確保しつつ、 well-beingを実践するためには、自然科学だけでは不可能で、人文科学、社会科学、哲学、倫理学といったさまざまな『知』や視点が必要で、かつ、それらを見渡しながら解決の糸口を見つける『総合知』に大きな期待が寄せられます。
 現在、『総合知』は、科学技術政策の柱の一つに数えられ、その活用が求められ、いくつかの総合大学でも『総合知』を推進しています。『総合知』には、それを担う人材の育成とその教育システムが重要ですが、文系・理系に分ける、暗記中心、ダイバーシティが少ない、『知』が交錯する場が少ないといった現在までの日本の教育環境では、『総合知』が育ちにくいことが指摘されています。
 これまで、日本眼科学会は、各種の学術集会や講習会など、『専門知』の獲得のために多くの生涯教育の場を提供してきていますが、自己啓発や社会人としての広い視野を持つための学びの多くは、個人の学習に委ねられています。近年、社会人としての「学び直し」は、『リカレント教育』として注目されていますが、アジア太平洋地域の14か国・地域で社外学習や自己啓発をしていない人の割合は、日本が最も高いという統計があります。リカレント教育は、視点を豊かにしてくれる『知』の獲得のみならず、人脈の獲得にも有用で、well-beingを見つめることや、モチベーションを高めることにもつながるといわれています。
 終身雇用が崩れ、グローバル化が進み、DXの必要性が増し、AIやロボットが登場して、自分の現状を維持しながら複雑な社会を理解し、さらにステップアップしてゆくために、常に、アンテナを広げて、学び続けることが、非常に重要になってきていると思います。『知』を磨く生涯教育とともに、青空照明で素朴なアイデアから新しい発想が生まれたように、一人一人が『総合知』に参画できる立場にあることを意識して『専門知』以外の視点を得る学びを継続することが、今、日本のイノベーションに求められていると思います。 

公益財団法人 日本眼科学会
監事 横井 則彦